2004・8・6 広島司教平和メッセージ



”伝えていかなければならないもの”



「この聖堂は、昭和20年8月6日広島に投下された世界最初の原子爆弾の犠牲になられた方々の追憶と慰霊のために、また全ての国の人々の友愛と平和のしるしとして建てられました。」
                                       (世界平和記念聖堂献堂記)



 今年、わたしたちは、世界平和記念聖堂献堂50周年の記念すべき年を過ごしています。50年前の1954年は、被爆から9年しか経っておらず、広島の町と人々はまだ戦争の傷跡に苦しみ、復興と再生のために日夜汗を流していた時です。そんな時に、世界平和記念聖堂は、人類史上最初の原子爆弾の投下によって灰燼に帰した町に現在もなお同じ尊厳さを湛える偉容をあらわしたのです。これは、当時の歴史状況を考える時に、驚くべきこと、一つの小さな奇跡といってもよいのではないでしょうか。


 自らも被爆したドイツ人宣教師フーゴ・ラッサール(愛宮真備)神父の心に芽生えた熱い願いが、国境を超えて、善意の人々を動かし、実を結んだのです。「さてこの記念聖堂建設を思い立ちましたのは、始めからただ単に記念のためというだけではなく、それよりも世界平和が一日も早く実現するように努力するという目的のためでありました。」とラッサール神父は語っています。「世界平和実現のために」聖堂建設を思い立ったというラッサール神父の心こそ、第一に大切にされ、決して忘れてはならないものです。

 1981年2月25日、「平和の巡礼者」として世界平和記念聖堂を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世は、「平和アピール」の中で、「人間とは信じられないほどの破壊をやってのけるものだ」と語られました。たとえば、世界遺産に登録されている原爆ドームは、そのことを心に刻み、再び過ちを繰り返してはいけないという誓いのための記念碑、人間の営みの負の遺産です。
 教皇ヨハネ・パウロ二世は、また、「戦争をひきおこすのも人間だが、その同じ人間が、立派に平和を創り出すこともできるのだという信念」についても話されました。まさに、世界平和記念聖堂は、この真理の目に見える証であり、人類の使命であり、悲願である恒久平和を実現しようという祈りと決心の結晶です。新しい世界を建設し、ゆるぎない平和を創り出していこうという積極的な意志の表明です。世界中から献金が寄せられ、平和の鐘、パイプオルガン、モザイク画、ステンドグラス、祭壇などが寄贈されて、「祈りの家」が完成しました。

 半世紀の間、世界平和記念聖堂は、「全ての国の人々の友愛と平和のしるし」として存在し続けてきました。「ずっと伝えていかなければならないものは、虚偽ではなく真実、権力ではなく正義、憎悪ではなく慈愛である」と聖堂の壁に刻まれていますが、この呼びかけに、わたしたちは、どのように答えたでしょうか。世界的な規模の大戦こそ起こりませんでしたが、今も世界各地で、戦争や紛争が続いています。
 世界平和記念聖堂50周年にあたり、ラッサール神父の遺志と聖堂の存在意義を思い起こし、新しい一歩を踏み出す決意を新たにしましょう。世界平和記念聖堂が発信するメッセージ「真実、正義、慈愛」を具体的に実現していく努力を重ねていくことを誓いましょう。


 広島教区は、神から「平和の使徒」として働く使命、「平和のために働く幸い」を日々生きる召命を与えられていると考えています。「誰を遣わすべきか」との主の声を聞いて、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と答えた預言者イザヤのように、わたしたちも「わたしを、平和の使徒として遣わしてください」と主に祈りましょう。

                              広島教区長    ヨセフ 三末篤實 司教